プロローグ:僕が下田で「場づくり」をする理由
はじめまして。風まち下田を運営する「合同会社 風まち」の津留崎 鎮生(つるさき しずお)です。
生まれも育ちも東京の新宿という都会っ子の私がなぜ、伊豆半島の小さな港町でこんな施設をやるようになったのか?このページではそんな経緯を紹介します。
東京では、建築を学んで、バーを経営したり、リノベーションの仕事をしたり。振り返ってみると、昔から人が集まって何かが生まれる「場」をつくるのが好きだったみたいです。
下田にたどり着くまで
大きなきっかけは、2011年の東日本大震災と、父親になったことでした。
「自分の手で、生きていくのに本当に必要なものをつくれるようになりたい」
そんな想いから、一度は、自給自足の「田舎暮らし」を夢見て三重の山奥へ移住したものの、都会育ちの自分にはハードルが高く、また「つくるだけじゃ暮らしていけない」そんな現実にも直面し、失敗に終わります。
でも、この失敗があったからこそ、自分が移住のイメージが見えてきました。
そうして2017年にたどり着いたのが、この伊豆下田です。
突然の知らせと、ひとつの覚悟
移住後は、米づくり、古民家DIYリノベーション、地域の廃材をつかって熱源とする薪ストーブや太陽熱温水器などによるエネルギーの自給、そんな「つくる暮らし」を実践していきました。
また、地域との繋がりが深まる中、市の情報発信に関わったり、市のPTA代表を任されたり、そんな活動をするようになり縁あって、この場所の前身である地方創生に取り組む東京の企業が運営するワーケーション施設のマネージャーに抜擢されたのです。
施設には全国から新しい感覚をもった若い人たちが集まって、地域との橋渡しとして関わるようになりました。
どんどんと人口減が進む中、橋渡しがうまくいくとどんどん地域のファンができる、また、移住や地域での起業にもつながる、そんな様子に大きな可能性を感じていました。
しかし、突然、運営会社が撤退することになったんです。
「せっかく生まれたこの流れが、またゼロに戻ってしまうのか」
悔しい、というよりも、とにかく「もったいない」と感じていて…。
企業には企業の都合がある。
それは仕方のないことかもしれない。
でも、感じたことは…この場所で生まれかけた繋がりや、地域の未来を、他人任せにしていたら、いつまで経っても良くならない。
地域の未来は、そこに生きる人間が、自分ごととして本気で考え、動かないと、何も始まらないんじゃないか。
仲間たちに背中を押されて、2023年に「合同会社 風まち」を立ち上げました。
僕たちがつくりたい、「みんなの居場所」
昔、船乗りたちが次の航海のためによい風が吹くのを待つ「風待ちの港、下田」には、たくさんの人が出入りし、にぎわいました。
その歴史を大事にしながら、ただ待つんじゃなく、自分でこのまち新しい風を起こしたい。
そんな想いで「待ち」を漢字にしないで「風まち」と名付けました。
ここは、旅人、移住を考える人、地元の人、そして子どもたち。
いろんな人が垣根なく集える場所にしたいと思っています。子どもたちが安心して過ごせる「第三の居場所」であり、何か新しいことを始めたい人を応援できる場所。
僕が何かをするんじゃなくて、この「場」が主役になって、人と人、人と仕事、人と地域をつないでいく。
そうやって、少しずつでも、下田の未来が面白くなっていったら、最高です。
エピローグ:いつでも、気軽に
ぜひ一度、ふらっと遊びにきてください。「ちょっと顔でも見ていくか」くらいの、本当にそんな感じで。皆さんの話を聞かせてくれたら、嬉しいです。