OUR STORY
はじめまして。
風まち下田を運営する合同会社風まちの津留崎 鎮生(ツルサキ シズオ)です。
風まち下田は、ゲストハウス、シェアハウス、コワーキングスペース、カフェ、イベントスペースなど、さまざまな用途を併せ持つ施設で、そのコンセプトは、「地域内外のさまざまな人が集い、交流し、共創し、挑戦する場」。
旅人が「暮らすように滞在する」ゲストハウスであり、共に暮らすことを楽しむシェアハウスでもあります。仕事を通じてつながりを生むコワーキングスペースや、憩いの場としてのカフェ、イベントスペースも兼ねているため、地域の人々も日常的に訪れます。
そんな施設を運営する私は、東京に生まれ育ったいわゆる移住者です。
大学で建築を学び、設計や現場でのものづくりに携わった後、自営業でのバー経営、旅をしながらのノマドワークなどを経験。その後、大手リノベーション会社で管理職として数多くの物件再生を手がけ、東京から伊豆下田へ移住しました。
米づくりや古民家の再生に取り組む傍ら、市のPTA代表を務め、東京の企業が運営するワーケーション施設の拠点マネージャーも経験。そうした道のりを経て、2024年7月に「風まち下田」を開業しました。
一見バラバラな経験を持つ私が、今、伊豆の港町でこうした「場」を運営しています。
「なぜ、下田でこの事業をしているのですか?」
そう、よく尋ねられることも多くなりました。
風まち下田には、交流の場をつくりたい、地方に移住したい、起業したいなど、さまざまな想いを持った方が訪れます。ありがたいことに、視察や講演などでお話しする機会も増えてきましたが、限られた時間の中では、その背景の多くを語ることはできません。
だからこそ、私たちが大切にしている想いを知っていただくために、ここで少しじっくりと語ろうと思います。
以下、風まち下田の創業ストーリーです。
1. 原風景:新宿の喧騒と、建築への憧れ
私の原点は、東京・新宿です。
新宿のはずれに生まれ育ち、高校時代は歌舞伎町の雑踏を通り抜けて通学する、生粋の都会っ子でした。
大学では建築設計を学び、在学中に感銘を受けた建築家の事務所へ就職。しかし、実務経験を積むにつれて、心の中に違和感が広がっていきました。
「建築を作品としてつくり出すことに、どんな意味があるのか」
私が本当につくりたいのは、建物という「ハード」よりも、そこで人がどう過ごすかという「ソフト(場)」なのではないか。そんな問いが芽生え始めたのです。
2. 挫折:若き日の過信と、放浪の旅
その答えを求め、建築の世界から離れることにしました。ハード、建築からソフト、場づくりへ。
そう考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが「バー」という空間でした。当時の私は夜の街で飲み歩くことが多く、人が交わり、受け入れてくれるバーという空間に何度も救われていたのです。
建築の作品をつくるよりも、自分自身がそうした「人が交わる場」を持ちたい。そう強く感じるようになり、建築現場で左官職人として働き、夜はさまざまな飲食店で経験を積みながら、場づくりに必要な資金とノウハウを蓄え、27歳で、東京の片隅に自営業のバーを開業しました。
内装は建築現場で得たスキルや人脈を活かしてDIYで仕上げ、店の片隅では古着や古本を販売。アートの展示や音楽ライブ、映画の上映会なども企画しました。ただの飲食店、バーではない、文化や人が混ざり合う空間。今の「風まち」の原形は、間違いなくここにあったのです。
東京で営んでいたバー。混沌した雰囲気だったこともあって、行ったことないけどニューヨークっぽいとよく言われました。
店はそれなりに賑わったものの、若さゆえの経験不足がトラブルを招きました。近所からの苦情や、客とのトラブルによる警察沙汰、裁判沙汰。理想だけでは場は維持できない…まだ自分には、場をコントロールするための人生経験が足りない…そう痛感し、4年間経営した後に店を畳むことに。
その後は各地を巡りながら仕事をするノマド的なライフスタイルへ。地方をくまなく巡る中で、私の目には強烈な光景が焼き付きました。一つは地方の持つ圧倒的な豊かさ、もう一つは、その裏にある「ハコモノ行政の負の側面」です。使われていない立派な建物の多さに、建築を学んだ人間として強く心を揺さぶられました。
3. 帰還:建築に戻るも、「新築」ではなく「再生」に道を見出す
30代半ば。結婚を機に安定を求め、再び組織の中へ戻ることを決めました。選んだのは、経験も思い入れもあった「建築」の世界です。
しかし目指したのは、かつて憧れた「作品をつくる建築家」ではなく、「今あるハコに、いかに息を吹き込むかこそが、これからの建築の役割ではないか」ということ。そう考え「リノベーション」の業界へ飛び込みました。
大手リノベーション会社で施工管理として年間約100件、総額数億円規模の現場を統括。「再生」という仕事の手応えとともに、経済的な安定も手にしました。
4. 転機:3.11と「消費する暮らし」への決別
しかし、2011年の東日本大震災がすべてを変えました。都市のインフラが止まり、スーパーから物が消える現実。当時、妻のお腹の中には初めての子どもがいて、親になるというのに、何もできない自分への不甲斐なさも感じました。
「お金があっても、エネルギーも食べ物も手に入らない」
「自分の手で、暮らしをつくれる人間になりたい」
その想いは抑えきれず、安定した職を辞し、家族とともに都市と組織に依存する暮らしから抜け出すことを決意しました。
5. 試行:自給自足の限界と、ある真実
最初に辿り着いたのは三重県の山奥。自給自足への挑戦でした。しかし、そこで気づかされたのは、自給自足で腹を満たすことはできても、心までは満たされないという現実でした。
「自給自足でエネルギーや食べ物はつくれるけれど…人生はつくれない」
人とつながり、誰かの役に立つ実感がなければ、生きている喜びは深まらない。人は一人では生きられない。そんな当たり前のことを気づかされ、再び旅に出たのです。
6. 到達:伊豆下田への移住と、「つくる暮らし」の実踐
2017年。旅の果てに辿り着いたのが伊豆下田でした。美しい海と山、東京からのアクセス、観光地としての賑わい。何より背中を押したのは、この地で出会った人たちのあたたかな言葉でした。
移住後は、耕作放棄地を借りて米づくりに挑戦し、古民家をDIYで再生し、自然エネルギーを暮らしに取り入れる。「つくる暮らし」を実践しました。
2018年から借り始めた田んぼ。泥にまみれる時間が、生きる手触りを教えてくれた。
7. 企業の撤退と、「地方創生」の脆さ
やがて、築45年の社員寮をリノベーションしたワーケーション施設の拠点マネージャーを担うことになります。施設は賑わいを見せ、移住者や起業家も現れたのですが、企業の経営方針の転換により、突然の撤退と閉鎖が決まりました。
「これが地方創生の現実なのか」と深く考えさせられました。現場で走れば走るほど、企業運営では拾いきれない地域の細かなニーズがあることも感じていました。
8. 決断:経験が「線」に
企業が撤退し、この場所が再び空き物件となったとき、決意が固まりました。
バーでの場づくり、建築とリノベーション、移住後の暮らし。これまでのバラバラだった経験のすべてを、この場所の再生に活かすべきではないか。
地域に必要とされる場を自らの手でつくり、地域に必要だからこそ存在し続ける。そのために独立を決意し、クラウドファンディングで支援を募りました。188名もの方が支えてくださり、2024年7月、この場所は「風まち下田」として新たな一歩を踏み出したのです。
9. これから:風まち下田が目指すもの
風まち下田が目指すのは、一部の観光客やワーカーだけの施設ではありません。地域の人も旅人も、大人も子どもも、垣根なく混ざり合う場所です。
近所の子どもが放課後に遊びに来て、地域の事業者がふらりとお茶を飲みに来る。そこに旅人が自然に同席している。そんな日常を積み重ね、この町にとって本当に必要とされる持続可能なインフラへと育てていくことが、私の新たな使命です。
風まち下田は完成された施設ではありません。今も変化し続けている、現在進行形の暮らしの現場です。ぜひ一度、足を運んでみてください。ウッドデッキで一緒に、他愛もない話をしましょう。皆さまとお会いできるのを楽しみにしています。
風まち下田の外観と風景。
合同会社 風まち 代表
津留崎 鎮生